すべての人は、人を殺したり、傷ついたりすることはまちがっていることだと知っていると思います。みなさんは意識が誕生した時、そのことを知っていたのです。そのうちこのことを忘れてしまったのです。
みなさんは、人を殺すことにより人を殺してはいけないことを思いだすのです。みなさんは、人を傷つけることにより人を傷つけたらいけないことを思い出すのです。それは人を殺したり、傷つけたりすると胸が痛いからです。胸が痛まなければ、再び人を殺したり、傷つけたりします。みなさんは、自分の胸が痛くなるまで、お互いに殺し合い、傷つけあうのです。
胸が痛くなることが、自分の行為、自分の言葉に対して、反省する機会を与えられるのです。自分の思いが人を殺し、傷つけていることを知っている人はまだ多くいません。ここでは、このことは触れません。自分のまわりで人を傷つけても平然としているのは、まだその人の胸が痛くなっていないからです。宗教のちがいで人を平然と殺しあうのが、今でも続いているのはまだ自分の胸が痛くなっていないからです。
ただ、人を傷つけたり、殺したりすることが、まちがっているということは、始めから知ってはいるが思い出せないのです。現実に人を殺し、傷つけた時、平然としているのはまだ思い出していないだけのです。人を殺し傷つけることは間違いですよと他人に注意されると人を殺すこと傷つけることのまちがいを思い出す人もいます。注意されてもなお人を殺し傷つけ続ける人が実際にまだいます。まだ、人を殺し、傷つけることがまちがっていることを知ってはいないのですが、まだ思い出せないのです。何回も何回も人を殺し、傷つけている人がいます。ただ、思い出すことができないのです。いずれは必ず人を殺すこと傷つけることがまちがっていることを思い出します。それまで、みなさんは待つ以外にはないのです。その人が人を殺し傷つけることのまちがいに気がつくようにみなさんの行為や言葉が成長していないからです。ただ、まちがっているだけで良いのか、ちがいます。みなさんが成長して人を殺し傷つけている人に、やさしさ、思いやりを与えなければいけないのです。やさしさ、思いやりだけが人を殺し傷つけることのまちがいを思い出させるのです。まちがっている行為をした人に、罰を与えても、人を殺し傷つけることのまちがいを思い出せません。罰を与えるのではなくて、やさしさ、思いやりをかけてあげるのです。それ以外には思い出させないのです。やさしさ、思いやりはまちがったことをしたのを気づかせるのです。胸が痛くなって、その人は自分のおろかしさに気がつくのです。 その時でももしあなたがようやくわかったのか、よかったねでは駄目です
ようやく、わかったか、良かった、良かった、人を殺したり傷つけたりしてはいけないのだと知ったかぶりで、もう一回その人に言ってごらん。その人は再び人を殺すこと傷つけることを始めるでしょう。ただ、よかったねぇと言い、抱きしめたり手を握ってあげると、その人はもう人を殺したり傷つけたりしないでしょう。あなたとちがって私なんか始めから人を殺したり傷つけたりしたらいけないことを知っていたのだよ。私とあなたは違うのだという思いを相手に持たせることはいけません。「あなたはようやく今気がついたのか良かったね」では駄目なのです。かつて自分も同じまちがいをして気がついたのだよということを忘れていては人が変わる手伝いはできません。謙虚な人は、かつて自分もまちがいをしたことがあるのを知っているのです。謙虚でない人が人を説得することは不可能なのです。やさしさ、思いやりをかけて人を殺したり傷つけたりしてはいけないのだと思い出した人に笑顔を見せるだけで良いのです。