科学常識では病気が治らなくて、あなたのいう非科学的常識で病気が治るのは、なぜでしょうか。事実を見る気がありましたら、当院にいらして下さい。
私はただ病気がなぜおきるのか、自己災難がなぜおきるのかを教えてあげているのです。全て自分の蒔いた種が実ったものです。この世でやったことだけの結果ではありません。
始めは、私もなぜ私を信じると病気が治るのか不思議でした。全ての人が私とつながっているということにだんだん気が付いていったのです。病気を治すには、どんないやなことをされても、言われても許してあげる以外にはないことがわかってきたのです。しかし、どんな努力をしても、難行苦行をしてもすべてを許すことは出来ません。人は自分と合わない考えがあれば悪いことだとし、「あの人は良い人だ」「あの人は悪い人だ」と、自分の物差しで他人を判断します。 世の中の現像も自分の物差しで測ります。すべてを許すことのできる、物差しをもったらどうですかと、問いかけています。すでに自分の物差しを持っている人が滝にうたれても、お経を唱えても、神社仏閣に多くのお金を積んでも、苦しみから逃れることは出来ません。自己満足はしますが、すべての人がそれぞれの物差しを持っているから話し合ってもお互いに意見が合うことはなく、ただきりのよいところで妥協をしているのです。力があるものが、力のないものを従わせ、科学的な新事実を早く見つけたものが、まだ見つけられないものを黙らせるのです。従わせられた人、黙らせられた人は、「今に見てろ」いつかは仕返ししてやろうと思います。自らが考えていたことより、相手の方が正しいと思っても、相手に押さえつけられたり、自慢された思いが許せないのです。嫉んだり、恨んだりするのです。相手より上の新事実を見つけよう進んだ知識を身に付けようと頑張るのは良いのですが、従わさせられたり、うちのめされたことはいやな思いとして意識の中に残るのです。
一般的には長く生きていればいるほど、いやな思いが積まれます。 これをカルマというのです。
従わせた人も、勝ち誇った人も、「相手をざまを見ろ自分のほうが正しいのだ、相手は自分より下の人間だ」と思うのです。これもカルマになります。相手を思いやる気持ちがないのです。 競争することにより、どちらもカルマを積みます。競争が悪いのではありません。 やさしさ、思いやりのない人の競争は、必ず慢心、驕り、プライドが生まれ怒り、憎しみ、劣等感も生まれるのです。
怒り、憎しみ、恨み、仕返ししようとする思い、慢心、驕り、プライドをなくしてあげると病気は治るのです。 私から出るエネルギー、源光しか、今のところ、これらの悪い思いを消すことが出来ないのです。このことは人類史上、初めてのことなのです。
悪い思い(思考、悪想念、宗教心)が、なくなった時、本来の自分が出てきます。みなさんの本当の自分は源光だったのです。源光を覆い隠していたものを取ってあげるのは、私しかいなかったのです。それだけのことです。
源光になった人は、周りの悪い思いを消すことができるでしょう。源光が出るようになった人のまわりは、競争はあるが、争いはないでしょう。源光というのは、一つしかないのです すべては一つなのです。