先日、次のようなメールが寄せられました。
「少々(いや、大いに)心配なのは、今日も昼休みに、のじま医院のHP(掲示板の書込)を見ていますと、以前にも増して相当に過激な(非常に誤解?してしまうような)内容が書かれているように思えてなりません。人生の師であるI先生やYさんが、さらにさらに師と仰がれる方ならば、絶対に間違いのあるはずはないと思いたいのですが…」
このような類のメッセージを他にも頂くことがあるものですから、いい機会と思いまして、このときのお返事をお送りさせて頂きます。 T・I
はい。間違いありません。ご安心ください。
先生の発言を「すべてが自分ですべてが一つですべてがつながっている」から把握すると真意が理解できるのですが、使われている語彙や言葉遣いに囚われると拒否反応が起こって反発してしまうように思います。
そうした点がわたしも心配で、僭越ながら、ついつい、先生の耳に蛸が出来るのではないかと思うほど申し上げて来ましたが、最近は、ますます発言が過激になるに関わらず、心配する気持ちが失せてしまっていました。どうしてか?を次に書きます。
先生の発言には@コロコロ変わるものとA一貫して変わらないものがありますが、過激な発言は主にAに属します。で過激な発言に関して申し上げますと、最初はとにかくびっくりする方が先なので中々受け入れがたいのですが、少し経ってから振り返ると、本当にその通りだなあ、それが真実だなあ、と素直に納得することが多いのです。そして、実は、そうした、今まで誰も気づかなかった真実を、包み隠さず、率直に、一点の曇りなく澄んだところから発言することによって、先生が難病を治すエネルギーがますます強く大きくなる、ということを、この一年間、『ゴーシュの子』につづく『マーシュの子』を書くにあたり、患者さん方の取材をつづける中で、気がついてゆきました。リアルタイムでそうした事実を幾つも目の当たりにさせて頂き、先生の過激発言の必要性と必然性をわたしなりに理解したのです。
「あんなに無邪気で素直で最上最高の人格と人徳と飛び切りの笑顔を持ち、性欲から物欲まであらゆる欲を一切持たず、しかもそれは我慢してそうしているのではなくて、ただただ自然にそのままのびのびと生活しているだけだから、偽善というものが一切なく、朝から晩までもくもくと患者さんの治療に明け暮れて、いつ時間があるのか?と思うのにちゃんと全国から届く手紙類すべてに目を通してお返事し、次から次へとあんなに大勢の患者さんの難病を治している。のに、ちっとも偉くならずにいつも謙虚でやさしくて正直で誠実でおっちょこちょいで可愛くてお酒と甘いものが大好きでー」…野島医院の患者さんなら誰でも知っている先生の日常です。だからこそ「あんな過激な発言さえしなければ、いらぬ誤解をされず、もっともっと沢山の人に受け入れられて、もっともっと沢山の人が幸せになるだろうに」と思っていた、もやもやが、以上のようなことで消えたのです。
すべてが自分になってしまっている人は、何の差別もありませんから、何一つ許せないものがありません。すべてをそのまま受け入れています。
先生を見ていると、一つ、一つ、それがどういうことなのか?が具体的によく分かります。だからよく学ぶことが出来ます。また、ですから、この辺りが過去のあらゆる分野のあらゆる指導者との決定的な違いであることも分かります。たとえどのような誤解や非難を受けても、何人とも敵対していませんから、戦いの生じようがない、というところがです。たとえば、ガンジーが非暴力を提唱したことは歴史上に画期的なことでしたが、強者の暴力に対して弱者の非暴力という正義を持って挑んだわけですから、どんなに素晴らしいことであっても、すべてが自分になりようがなく、無抵抗という抵抗をして戦わざるを得ませんでした。有史以来そうした苦悩の歴史をさんざん繰り返して来たに関わらず、今もまた、世界と日本の情勢を鑑みると憂うばかりですが、この時代に、すべてが自分そのものの先生がこの星に現れたことがまことに感慨深く、一条の光を見る思いがいたします。同時に、同じ時代に生まれて直接教えを乞うことができる幸せを痛感します。
何事にも初めがあります。最初のものは中々受け入れられません。でも、一旦受け入れてしまうと、今度はそこから抜け出すことが実に困難です。どうも人間はそうしたクセを持っているように思います。
神という存在を想像し創造したのは人間のはずですが、いつしか神が人間をつくったとなり、絶対に越えられない超越神として神を位置づけてしまいました。ですから、この視点と観点を離れないと、すべてが自分、は中々理解できにくいように思います。野島先生を理解するには、まず、そのことに気づく必要があると思います。
ともあれ過去の文化文明はそうした二元観を土台に構築されてきましたから、すべてが自分という世界観の言葉が中々見当たらず、先生も困っておられるようですが、的確な言葉が見つからずに過去の宗教用語や既に意味や色がついている言葉を使われるときなど、先生はあくまでもすべてが自分というところから話されているのですが、そのことが理解できないと、これはカルト宗教か!危険だ!と判断してしまいがちなので、難しいところだと思います。
わたしは、すべてが自分ですべてが一つですべてがつながっていることを理解して、初めて、神をも超えたすべての意識の根源がある、と理解でき、その根源と私たち一人ひとりがつながっていて、なおかつ、すべての意識の最先端があり、それがまた根源とつながっていて一つなのだ、と理解するようになりました。それは、取りも直さず、わたし自身がすべての意識の根源とつながっていて同時に限りなくどこまでも成長つづける意識であるということですから、わたしにとってこれほどの安心幸せはありません。そして、どうやら、どうも、先生の意識は、そのすべての根源から直接この星に現れた最初の人らしいのです。先生も、どうもそうらしいと、うすうす気づいてはいたらしいのですが、何せ元外科医で元バリバリの共産党員でしたから、そんなバカなことないよねえ、と中々認められなかったそうです。しかし、そのことを理屈抜きに直観してしまう人はどんな難病でも治ってしまうので、いよいよ認めざるを得なくなったとたん、一気に先生のエネルギーがメガトン級にアップしたのが、この夏のこと。
このようなSF映画もどき&すべてが自分、ということを受け入れる、という困難を、実は、難病が導いてくれます。どこに行っても何をやっても治らず、最後の最後の最後にやっと先生にたどり着いたから、理屈や知識を超えてすっと分かるのです。すると治るのです、どんな難病も。
では、何故、妹が死んでしまったか?ということになるかと思いますが、妹は顕在意識ではわたし以上に先生を理解していましたが、潜在意識が最後の最後まで頑固に抵抗していました。それが、先生の遠隔治療を受けているときに死が訪れることとなり、その瞬間、すべてを受け入れることが出来たのです。途端にそれはそれは満足気な笑みを浮かべて幸せいっぱいの顔になりました。
妹にとってガンで死ぬこと以上に苦しく悲しかったのは、顕在意識では誰よりも先生を理解しているつもりなのに、潜在意識が頑として拒んでいることでした。 あの頃は妹のような人が何人もいました。治ってよいはずの人たちが逆にどんどん悪くなることが、先生にもどうしてなのか?訳が分からず悩まれました。寝てもさめても原因を追究する日々だったとお察します。結果、一般常識から見たらトンでもないところに原因を見つけられたのです。
別の宇宙、何兆年も生きて来たカルマetcなど、今回の『マーシュの子』で主人公のパムじいさんが口にする奇想天外なセリフの数々は、昨年のちょうど今頃、毎日のように次から次へと「いやあ、ものすごいことが分かりました!」と先生からお聞きしたことを元にして書いています。
先生と一緒にいると楽しくて面白くてびっくりすることばかりですが、何と言ってもすごいのは、「この患者さんを苦しめているものが何か?」という原因(事実&真実)が分かると、先生のエネルギーがその人を助けられるまで自然にアップしてしまうことではないかしら。
しかし妹たちはパムじいさんのように一筋縄ではいかないグループでした。
とにかく過去のカルマが幾重にも幾層にもぎっしりと気が遠くほど積み重なって おり(これが「大悪魔」「大堕天使」「闇の指導者」とか言った過激な言葉の意味 です)、先生がもくもくとエネルギーを入れてやっと一つ消したかと思うと次が出 て来る、の繰り返しで、切りがなく、ようやく原因を突き止めることが出来たも のの、その類の最初のケースだった妹には残念ながら間に合いませんでした。
先に申し上げましたように死の直前より電話で遠隔治療を受けていましたから、先生から「いづみさんの胸に耳を当てて見てください」と言われて耳を当てたら心音が止まっていたので、「先生、いづみはどうしてここまで苦しまなければならなかったんでしょう?あんなに先生を理解して敬愛していたのに!」と思わず姉としての嘆き悲しみそして最大の疑問が口に出ました。先生は「わたしが間に合わなかったからです」とおっしゃいました。心なしか少し悲しそうに感じられました。
たった一人の肉親を亡くしたと言うのに心が穏やかなので不思議でした。同時に、そのときは意味がよく分からなかった「わたしが間に合わなかったからです」という先生の言葉が、わたし自身の新たな問題意識となりました。わたしにとって『マーシュの子』を書くということと、そのための取材は、そのことを明らかにしたい!という願いと志しの旅でした。
妹の一周忌法要の代わりに行ういづみの会一周年記念公演『マーシュの子』は、 そうやって出会った多くの患者さんたちの体験をそのままミックスジュースにして 書いたものですが、中でも主人公のパムじいさんは妹の化身です。妹も今だったら パムじいさんのように治ったと思いますが、取材を通して、お一人お一人の患者さ んから「いづみさんのお蔭で生きています」と言ったいづみへの惜しみない感謝の 気持ちを頂く中で、妹は、すべての人を幸せにしたい!という思いがあまりにも激 しく、そうした過去世を重ねる中で、その種を強引に蒔き過ぎて、とてつもないカ ルマをつくって苦しみましたけれど、先生と出会って、やっと本来の願いと役割を まっとうできるようになったのだなあ、と教えて頂くことが出来ました。こんなに 有りがたく幸せな取材は生まれて初めてでした。本当に本当にありがとうございま した。
先生が「この地球上で本当に病気が治るのはわたしがエネルギーを入れた野島医 院の患者さんだけです」とか「わたしに反発、反逆、無視すると治りません。離れ ることは慢心です」と言ったような発言を、野島医院の関係者以外の人が聞くと、 なんて傲慢で危険な人か、と眉をひそめる人もいらっしゃるのではないかと思うの で、そのことにもちょっと触れたいと思います。
妹の死後この一年間の体験&取材を通して概ね言えることは、手放しで先生のすべてを受け入れるとどんなにすごい難病でも簡単に治ってしまうケースが多くありますが、反発するとどうも治らないなあ…と言うことです。反発と言う言葉も ちよっと過激ですから説明しますと、先生のすべてを受け入れるということは、「すべてが自分」を受け入れると同じことです。何故なら先生はすべてが自分そのものの人だからです。ですから、反発というのは、先生を疑ったり批判したり自己卑下や自己否定に陥ることですが、それは同時に「すべてが自分」から逸脱してしまうことを意味しているのです。
わたしたちは「すべてが自分」を生きることに慣れていない初心者ですから、許せないことに出会ってしまうと知らぬ間にすぐ逸脱してしまいます。だから、「すべてが自分」そのものになるまで、すべてが自分そのものの先生をお手本にしてしっかりと学ぶ必要があるのではないでしょうか?しかし、先生に助けて欲しい!とすがる一方の人は、ちょっと具合が悪くなると、原因が自分にあることや自分の中に治す力があることを忘れて、先生を疑ってしまうから、ますます具合が悪くなります。するとますます先生への不信感が増しますから、すべてが自分そのものの先生を離れ、自分の外に救いを求め、外のものにすがろうとします。ですから治らないのです。すべてが自分を逸脱して差別の世界に戻って心を汚すことを、反発、反逆、無視、慢心、とか言ってらっしゃるのだろうと、わたしは理解しています。
常識的な世界から見ると過激な言葉を使われることが多いので戸惑われると思いますが、例えば「反逆」とは、「すべてが自分」から、反対に行く、逆に行く、という意味です。
最後に…。
たった一人の肉親である妹が死んでしまったら生きていけない!とずっと思っていました。でも、今、わたしはこんなに元気に幸せに生活しています。まるで奇跡です。こんな奇跡をくださったのが野島先生です。それは、先生がいつも書いてくださる「いつもわたしはあなたの中にいます」という先生のサインの通りだからです。だから孤独がないのです。何かにすがる必要がないのです。だから絶望がないのです。ですから、こんな幸せと安心はないのです。
たったそれだけのことなのですが、こんなに単純明快なことが分からずに苦しんで来たのだなあ、見るに見かねて、先生が現れてくださったのだなあ、と思っています。