出水市 職員からの手紙 

 出水市 職員からの手紙

 「おめでとうございます」
 と先生は最後に仰って、その電話をお切りになりました。私は、嬉しさと戸惑いと、何だか照れるような、そんな妙な気分になったまま、妻に先生との電話の内容を伝えました。

 先生からの電話は夜8時頃でした。携帯の着信名を見ると、私は瞬時に驚きと焦りが入り混じったような気分で電話に出ました。すると、向こう側から先生の嬉しそうな声。
「青木君、調子いいでしょう?」

 私はその日、先生の瞑想を受け、夕方に出水みらい治療院の鍼灸師2人と香さんに、同時に治療をしてもらっていました。今までも何度か、同時に3人の治療師に触ってもらうことがあり、それは他の方から見ると羨ましい状況かもしれませんが、実はそれぐらい私の意識と肉体は酷い状態だったとも言えます。
 先生の瞑想と、その源光治療によって私は、先生が皆さんを連れて行ってあげたいと思っていらっしゃる意識の場所まで引き上げてもらったようなのです。先生のお声の調子は、終始嬉しさに弾んでいました。

 私の病気は1型糖尿病です。糖尿病になって長い期間が経つと、合併症が出てきます。私の場合は足の痛みが酷く、一晩中うずき、眠れない夜が続いたことや、歩くことが辛い日も時々ありました。こんな症状が顕著に出るときの私の心の状態は決まっています。『先生への反発や反逆、反抗』です。

 病名がついてから2年を経て、私は野島医院に辿り着きました。気がつくと野島先生に出会ってから7年近くが経っています。
 それでも私は先生の教えをさっぱり理解せず、できず、ただ「理解したい、信じたい」という気持ちばかりがそこにあり、一方で反発や不満の気持ちがここ1年ぐらいでの間に芽生えてきました。
 先生に反発や不満、その他良くない思いを抱くと、一気に病状は強くなります。この病気自体は即死に至るというものではありません。ですが、今まで半透明のぼんやり見えていた絵に一気に色が付いたように、症状の輪郭や内容がはっきりと出てくるのです。
「あと二三ヶ月の余命しかないですよ」
 と実際に野島先生から告げられると、心のどこかで「あぁ、そう言われればそうだろうな」と、死というものが自分の中に棲み始めた気がするのです。死が、リアルになってくるのです。

 今までも、その方の意識を刺激するために突き放したような台詞を仰る先生を知ってはいました。第三者の立場であれば、字面だけを追えば冷たく聞こえるような言葉を先生が仰っていても、それは刺激を与えることでその方を救おうとしている、最善の方向に導こうとしていると思えたものです。
 実際、私自身も治療を始められる前に、
「これで変わらなかったら故郷に帰りなさい」と言われたことで、暫く続いていた合併症の症状が一晩で消えたことがありました。
 ですが、ここ最近は酷いことを言われ、苛められたような解釈をしていました。それは何故か。病気が良くならないことを先生のせいにしていた部分があったからです。それも先生に対する反逆や反抗、反発なのでしょう。

 先生に対する反発や反逆、反抗で、死に近づくことを頭や体でも感じていても、私にはどうしても止められませんでした。自動的にそういった思考に向かうのです。また反発や反逆は、一瞬で作られる、と私は思います。
 過去の先生の著書や講演での言葉、世の中の常識、知識、良識、道徳、ルール、慣習、自分なりの正義などといった尺度を、今現在の先生の言動に当てはめて判断をすると、一瞬にしてまずは先生に対する疑問から始まり、不満、反発などに発展していくのです。
「何で先生はあんなことをするのだろう」
「先生の意図がわからない」
「前の発言と矛盾している」
「考えたってわかるわけないじゃないか」
「一体いつになったら先生のことを信じられるようになるのか」
 こんな思考が同じところをぐるぐる回り、いつまでたっても止まらないのです。
 死を前にしても先生に反発すること。それは何か、自分の奥の奥の方にびっちりとへばりついたもの、先生の言葉で言えば「組み込まれたもの」だと思わざるを得ません。自分で摘出することは不可能な病巣だと感じていました。 
 7年、先生の教えを聞き、2年、先生の傍にいる。いつしかそれが苦痛になっていました。一患者であるほうが楽なのではないか、そう思いました。 

 先生は直観で物事を決められる方です。世の中の一般的な常識や尺度をあてはめても、当然当てはまりません。一職員になって仕事をしていると、そんな先生の仕事に関わる判断にも戸惑いと疑問が生じてきました。そこにも私なりの尺度を先生にあてはめていたのです。
 以前、患者様を対象にあるアンケートを行った直後のこと、先生は仰いました。
「このアンケートをしたことでも、○○さん(先生のことを信じている方)なら『ああ、先生のやっていることには何か意味があるんだろう』と思うでしょうが、青木君の場合は『また先生はあんな馬鹿なことをして』と思ってるんです」と。お見通しでした。

 肉体を持った先生だけを見て物事を判断している自分を自覚してはいました。ですが、直観で理解していない以上、その判断で先生を見続けます。
「聖人君子」
 一体、この言葉のイメージがどれだけ邪魔をしたか。いえ、「神」でも「創造主」でも「全てを創った者」のイメージでもいいのです。荘厳、崇高な存在を言い表した言葉を、現にそこに存在している肉体を持った野島先生にあてはめようとすればするほど、無理があったのです。
「私は至って普通ですからねぇ。世の中で聖者と言われている方が、実際どんな生活をしているかというと、まぁ、お金と女性なんかに狂って、リッチな生活をしていますよね。でも、私、普通ですから、みんなそれでコケちゃうんですよね」
 何かの酒宴でそう仰っていたことを覚えています。記憶の中には、そういった先生の言葉が残っているにも関わらず、やはり「自分の中の崇高な存在のイメージ=野島政男」を頭で無理に合致させようとしては矛盾が生じ、疑問が生じていくのでした。
 「自分なりの完璧な野島政男」を私は求めていたのです。では、「完璧な野島政男」とは何でしょうか?自分の頭で作り上げた虚構なのでしょう。
 この文章でお分かりになるように、とかく私は思考が先行していました。思考を止めたい、でも止まらない。症状が出ている時こそ思考を止め、心に余裕を持って好きなことをして、間違いを犯したら反省をし、隣の人に優しくできるようになれば病気は間違いなく治るでしょう。しかし症状が出ているときこそ、それができない。

■8月25日(土)先生からの電話から2日前

勤務中のこと、鹿児島の治療師から電話があり、「先生の姿を見るインターネット用のカメラが点いていないから点けてほしい」とのことでした。
 今、野島医院の診察室には、先生の治療の様子を各みらい治療院の治療師が見られるように、ネットワークカメラというインターネットにつながったカメラが設置されています。その日はその電源が入っていなかったのです。
 私は電源を入れようと診察室に入りました。先生は治療中でしたが、私の姿に気づくと顔を上げられ、
「青木君も良くないね。あと24日だよ」と仰いました。
 一瞬、何のことか分からずにいましたが、次第に、私の余命があと24日だと仰っているのが分かり、私はただ、「そうですか…」と呟いて診察室を出るしかありませんでした。
 その時に感じた感情は、怒りでも、焦りでもなく、はっきりとした悲しさでもありませんでした。どちらかといえば無感動に近く、体のほうがきっと正直だったのでしょう、力が抜けていくような感じでした。
 そしてまた、先生に対する悪想念が湧いてくるのです。自分は見捨てられたかもしれないと、ふと思ったのです。そして次に、先生は私を何とか救ってあげようと思わないのだろうか、という気持ちが出てきました。
 病気は自業自得であり、他人にしたことが自分にしたこと、という教えを芯から理解していれば、こういった気持ちは決して出てこないはずです。

 私の余命が風前の灯であることは先生だけがご存知だったらしく、私は自ら郁美さんにそれを告げた上、鍼灸師の治療を受けさせてもらいました。一人の治療師に触ってもらいながら、彼が苦戦しているのが分かった気がしました。触っても触ってもなかなか筋肉が柔らかくならず、さぞかし指のほうも痛くなっているのではと。訊いてみると、やはりそうで、彼は郁美さんにも手を貸してもらえるように頼み、総勢三名の治療を同時に受けることになりました。
 治療の結果、ガチガチになっている足首はいくらか動きが良くなり、肉体的に楽になりました。ですが、私の余命がどう変化したのか分からないままでした。

■8月27日(月)先生からの電話があった日

この日の早朝に先生の瞑想を受け、夕方には香さん、鍼灸師2人の治療を受けたことにより、私の意識はどうやら悪いほうから良いほうへと、逆方向に大きく振れたようなのです。その治療は、痛みのあまり体がのけぞり、掌でベッドを細かく叩いて痛みを誤魔化さないと耐えられないものでした。
「やっぱり先生の治療を今まで受けていなかったら、もっと早く死んでたよ」と香さんが仰いました。相当酷い足だったのでしょう。香さんは随分と長く念入りに足首の治療をしてくれました。ですが自分がしてきたことの結果がこの足の状態であり、痛みなのだと、はっきりと素直に認められない自分がまだそこにいました。

 治療後、私は汗を掻いていました。かつて、これほどの痛みを伴う治療は、先生の治療を含めてもそうそうありませんでしたが、足首は随分楽に動くようになっていました。
 そして帰宅したその夜8時。先生からのお電話があり、そのお声は終始喜びに弾んで、私以上に嬉しそうでした。

「悪いのが逆に振れると、すごいんですよ」
「青木君のご両親は、青木君以上にルンルンになっていると思いますよ。電話して御覧なさい」
「反抗や反逆、反発とかを経験した人じゃないと分からないから、ぜひ青木君が何を考えていたのか、書いて発表しなさい」
 このようなことを仰いました。
 正直、先生を信じているはっきりとした自覚は私にはありません。意識や肉体上の大きな変化もわかりません。ですが、心の奥底に何かしら重苦しく居座っていたものが軽くなったか、なくなった気がします。 勿論、肉体的にはきつい部分があり、休日は一日のほとんどを家で横になっていたりして、その状態は以前にもありましたが、今回は精神的に余裕がある気がします。そしてまた、症状や特に変化のない数値が、先生を疑い、反発するきっかけになっていない感触があります。

「良くなりましたよ」
「治りましたよ」
 過去に、何度も先生からそう仰っていただく度、最初のうちは喜んでいましたが、いつしか変わらぬ数値を見ては落胆し、先生に対して疑い、怒りを抱き、どうしたらよいのか分からず、先生の傍にいることが最初は安心感であったのに、気がつけば苦痛でもあったのです。
 治りました、と先生から仰っていただいた時を振り返ると、どこかその言葉を素直に全面的に受け止めていなかったと思います。いざ自分のことを言われると、自分事ではない気分になり、「ああ、そうですか」といった程度の無感動になっていました。
 どうしてそんな受け止め方しかできなかったのか、私にはよくわかりません。長く先生の傍にいることで悪い意味で「慣れ」のようなものが出来てしまい、感謝の気持ちが全くなかったのだと思います。
 自己弁護ではありませんが、先生の教えや言動に反発、反抗、反逆し、周りを洗脳したりすることの根底には、事態を悪くしようとか、先生に復讐しようといった悪意は全くない、と私は思います。自分の先生に対する反発心を振り返ると、そうだからです。先生が仰っている通り、善意が根底にあり、その善意というものが逆に自分自身や人々を間違った方向へ導くのでしょう。

 繰りごとになりますが、善意、反発、反逆、反抗、無視などの思いは、自分で止めようと思っても止められませんでした。結論としては、先生に止めていただいた、そうとしか言いようがありません。治療師3人を媒体として私の中にいる野島政男が止めたのでしょう。それしか方法はないのだと思います。
 すぐに死にたくなければ自己反省をして、先生に対する悪想念を止めればよい、と冷静な頭では考えられると思いますが、実際はそうはいかなかったのです。体験するしかなかったのでしょう。
「考えても仕方がない、ということに気づかない限り考え続けるでしょう」と先生は仰っていたことがあります。私はその言葉を頂いても全く考えることを止めなかったし、どうしても止められなかったのです。

 これらはここ最近、私が先生に対してどう思っていたか、何を考えていたのかを綴ったものです。また自分の為に書いたものだと思っています。ですが、みなさんに発表しなさいと先生に仰っていただかなければ、自分の為の文章としても存在しなかったと思います。
 私は、これからの自分自身を優しく見守るとともに、先生を含め全ての方からの優しさや思いやりを素直に受け止めたいと思っています。
 ひねくれ者で、反抗期が長過ぎた私ですが、先生、これからもどうぞ宜しくお願い致します。ありがとうございました。

追記:8月30日(木)の瞑想後、「4日前の瞑想を受けた方は、ものすごく良くなっています。内部の者(職員)もです」と仰っていました。