出水市 職員からの手紙その2
今回、先生からいただいたものは、まず言葉ではなく、手の親指と人差し指で丸を作った「OKサイン」でした。
その日の朝、私は先生の治療を久しぶりに受けることが出来ました。郁美さんが前の晩に、翌朝6時に先生が治療師達の治療をされることを電話で知らせてくれたからです。
私は治療師ではありませんので、一瞬行ってよいものか迷います。しかし、やはり先生の治療を受けたいという気持ちが勝り、私は翌朝6時に、診察室の椅子に座っていました。
先生は何人かの治療師の治療をされた後、私にベッドに横になるよう言ってくださいました。
今回の治療は、振り返れば何かしら先生の気合というか、そういったものがぐいっと入り込んでいた、そういう気もします。首を中心に触っていただき、特に耳の後ろ側に至っては、以前はさほど痛みを感じなかったのですが、今回は強い痛みを感じ、どんどん枕から頭からずれていきました。
全くひどい顔だな、と治療後の自分の写真を見ました。そこには、目は腫れ、体調が悪い時の自分の顔がありました。
先生は引き続き何人かの治療をされています。インスタントカメラで治療後の患者様の写真を撮るなどしていた私は、ふと、デスク上の治療後の治療師達の写真が集めてある一群の中に、私の写真があるのに気づきました。それを見た途端、私は、
「ああ、僕も同じ意識のグループに入れたんだ」
と感じました。
先生と出会って7年間。私は、成長の遅い人としてお話に出ることが多かったと記憶しています。その度に卑屈な誤魔化し笑いをし、ある時はもう二度と野島医院には来ない!と拗ねてしまったこともありました。
「どれだけ話しても理解できない人の典型」
この台詞は今でもはっきり覚えています。
しかし、こうやって文章に起こしてみると、成長していること、良くなっていることもことあるごとに言っていただいた記憶も蘇るのです。不思議なもので、心に余裕があれば嫌な過去も重さを失って、ただ過去の出来事として感じられる気がします。感情を伴わない台詞や風景として。
治療はまだ続いています。
次に先生は、○○さんご夫妻をお呼びになり、奥様のほうが先生の治療を先に受け、ご主人が隣の空いたベッドに横になりました。
「青木君。○○さんのご主人のお腹を触ってあげて。○○さん、お腹が温かくなったら私に教えてください」
先生のご指示通り、○○さんのご主人のお腹に両手を当てて目を瞑りました。程なく、お腹から「ぐるっ」という音が聞こえたかと思うと、暫くして「温かくなりました」と○○さんは先生に伝えました。
先生は軽く頷くと、そのまま私に触り続けるようにと仰いました。
また、先生は次のようなことを私に仰いました。
「家に帰って、奥さんに触ってから写真を撮ってきて」
私は7時30分頃に、一度自宅に帰って朝食を摂り、寝起きは首が痛い、という妻の首を目を瞑って触りました。
目を瞑ると、色々なことを断片的に、あるいは1つの連なりとして沢山考えます。瞑想中はいつもそうです。先生に対する疑念、先生の疑念を解決しようと理屈で考える思考、やらなければいけない仕事、忘れていた用件など。
しかしこの時はほとんど思考が回りませんでした。ただ唯一頭を通過したものといえば「野島政男が中にいる」と思うことさえも要らないぐらい、ただ触っていれば私を媒体として先生から発せられるものが自然と自動的に妻に入っていくのではないか、という思いと感覚でした。
私が触って10分後、妻は随分首が楽になったようでした。
8時20分頃に私は再び病院に戻り、午前9時からの生瞑想を行う準備を始めました。
瞑想後の先生のお話を聞くのが怖い、そんな時期もありました。今でも全く怖くないといったら嘘になります。先生の発言の合間合間に、知識、常識、私なり
の立場で捉えた感情がふっと入り込み、疑念、反発、反抗がみるみる広がって、それを塞き止めることが出来ないことが多かったからです。ですから、目を瞑っ
たまま、なるべく先生のお話を耳から入れないようにと意識していることもあり、「魂が勝手に聞いているんだから大丈夫」と無理に自分を納得させていまし
た。しかし、今考えると、それは不自然な行為で、やはり先生を拒否していることなのでしょう。
先生の教えを頭で理解することはできないから、魂が勝手に聞いているのに任すというのと、反応するのが怖いから魂が聞いているのに任せる、とでは全く違うことだと、今は思われます。
瞑想が終わると、妻の写真をプリントアウトしましたが、これをどうしても先生に急いで渡さねば、という焦った想いがあまりなかったことも、振り返ってみれば不思議なのです。
以前なら、先生のご指示には必要以上に焦りが伴いました。ましてこの日は、先生が東京に出発し、その後カナダに向かわれる日で、数時間後にはご出発される予定でした。私が触った妻の今の状態、同時に私の状態を教えていただくには、なるべく早く写真を渡さないといけないのです。
しかし早急に結果を欲しがる想いがないまま、単に写真をプリントアウトし、郁美さんに渡したのでした。
その後私は、どういうわけか先生をお見送りする場面に導かれました。
病院の裏口で一休みしていると、郁美さんの息子さんが傍らを通り、喉が渇いたと言っているので、私が飲んでいたコーヒー牛乳をあげようと一緒についていき、郁美さんたちが乗り込もうとしていた車に近づいたとき、車内に先生がいらっしゃいました。
「青木君」とお呼びになり、おそらく私の妻の写真だったのでしょう、それを空いた手で持ちながら、にっこりしながらOKサインをされ、
「これで青木家も安泰だよ」と仰いました。
「ありがとうございます。これで結婚式が挙げられます」と私が応えると、先生は笑っていました。
また、この日は外来の予約日だったのですが、妻がすぐに予約を取れたことも伝えると、車内にいた香さんが、
「すごいねぇ。必要のある人しか本当に取れないんだよ」と喜んでくれました。
「また、今の気持ちを書いて発表するといいよ」
と、先生は最後に仰って、私は「はい」と返事をし、病院に戻りました。
「おめでとうございます」という先生からの突然のお電話から2週間以上経ちました。
その間、私の気持ちが毎日朗らかで、穏やかであったかというと、そうではありません。小さな出来事にもチクチク反応しつつ、どうしても振り切れない思考の暴走に悩むこともあり、正直に告白すると、折角先生直々に成長の証をいただいたのに、先生のことを悪く思った日もありました。
その度に、足の痛みや体調不良を感じましたが、以前とは何かが違う気がしていたことも確かです。慢性的な病が突発的な症状に変わったとでも言いましょうか。
悪い思いをすれば当然症状は出るけれども、病そのものは原型をなくしている、ここでは、そんな表現しか思い浮かびません。
翌日火曜日は休みで、夜、車で買い物に出掛けたときのこと。
「ここ何年か、虹を見てないなぁ。見たいなぁ」と、妻が突然言いました。
そして翌日の水曜日。この日も厳しい残暑とまだ真夏のような日差しが照りつけていました。夕方になり、ぱらぱらとお天気雨が気まぐれのように降るとすぐに止み、またも車で出掛けていた私たちが帰途、家の前につながる細い道路に入った時です。
「あっ、にじー!」と妻が言うその視線の先を見ると、我が家の上に大きな6色の虹がかかっていました。私たちの借りている家の大きさに合わせたかのような寸法で綺麗なアーチが描かれていて、私たちは車を降りました。
色が薄かった部分も次第に色濃くなり、しばらく眺めていると、絵本で見るような綺麗な虹が出来上がっていきました。
出来すぎた話ですが、何かいいことがありそう、と単純にそう思わせる風景がそこにありました。
これが今の私の気分です。自分が抱いた負の感情や逡巡する思考を複雑に書き込もうとしても、そんなモードに沈み込めないのです。起きた出来事を第三者的に冷静に書いている自分がいます。前回とは違います。
一方で、前回の手記をホームページに掲載させていただいたことで、多くの患者様からお手紙やメールなどをいただいたり、声をかけていただきました。特に、
「すっきりした」
「すーっとした」
といった感想をいただいたことが印象に残っています。傍からは先生を信じているように見えても、先生に対する疑いや信じきれない思いを患者同士でも話が出来ず、いえ、むしろ患者同士だから話せず、表現できないで溜めていた方がいたこと。そして私と同じような思いをしていた方がいらっしゃったことを知りました。
本当に、読んでいただいて、ありがとうございました。
追記:9月17日の瞑想後、先生がされたお話の中で「もう傲慢になることはないです」「みんな治療師になれると思います」という言葉が、とても心強く印象に残っています。
「なんか、今日は違う」
瞑想後の、ある患者さんの一言でした。私もそんな気がしました。後日治療師からも「他の患者さんも、そう言っていた」と聞きました。みんな、何かしら同じようなものを感じ取っていたのかもしれません。